我慢することが努力!なんて考え方、もうやめませんか?好きなことをして稼ぐ生き方のススメ

社会人として生きていれば、辛いこともたくさんありますよね。

私も、仕事で辛いことがあったり、我慢していたりする自分は頑張っていて偉いと思っている時期がありました。

でも、そんなの多分おかしい!

頑張ってることや耐えてることがおかしいんじゃなくて、そんな自分を偉いと思ってるのがおかしいと思うんです。

だからさっさと考えを改めようよ!ってことで、私の経験を踏まえてお話します。

2年間の専門学校生活(正確に言うと専門学校ではないのですが。)、フランスでの勉強、研修を経て夢にまで見たパティシエとしての人生を歩み始めたのが2013年の3月。

それからの2年と少しの間に一体何があったのかは割愛しますが、2015年6月、私は日々に非常に疲れていました。

元々経営者体質と言われることが多く、こういう職種、向いてなさそうだよねと言われることもしばしばありました。

自分でも薄々そう感じながらも、これまでかけた時間、お金を考えるとこのままやり過ごすしかないのではという気持ちになっていました。

そう思いながらも辛いのは嫌だし、どうしようどうしようと思いながら生活していました。

でも、そういう転換期って、もう自分じゃどうしようもないくらい世界は勝手に変わっていってしまって、気がついたら私はライターとして独立していたんです。

それからはもう夢のような日々でした。

朝何時に起きてもいい、ご飯はいつ食べてもいい、昼寝も自由、夜ハメを外したら次の日は遅めに起きて…

だけど、

「こんなに自由に生活して、ちゃんと稼げてそれでいいのか」

1ヶ月もしないうちに、私はその生活に罪悪感を感じて、もっとちゃんとしようって思うようになったんです。

でも「ちゃんと」って何?

その時の私の「ちゃんと」は、朝決まった時間に電車に乗って会社に出かけて、見たくもない上司の顔を見て、くだらない文句を言われて、それでもすみませんって謝って、下っぱだからってこき使われて…

そういうことを「ちゃんと」だと思っていたんですよね。

でも、よく考えると、その「ちゃんと」になんの意味もないですよね。

私たち日本人は、そういう社会人としての「ちゃんと」とか「当たり前」の中にいれば、たとえ会社にとっても自分にとってもなんのプラスでもなくても、ちゃんと生きてるって評価しちゃう人種だと思うんです。

それってよく考えたらすっごいおかしいですよ!!

それからはしばしば、「ちゃんと」とか「努力」ってなんだ?ってことをよく考えるようになったんです。

 

 

毎日決まった時間に会社に行き、上司の小言や嫌いな同僚、仕事のできない後輩の対応に追われながら、やりたくもない仕事を遅くまでこなし、なんなら休日出勤までして、安月給で我慢することを努力であり、美徳だと考えている日本人のその意識はどこから来ているんだろうって。

そうしたら、それは学校教育が諸悪の根源ではないかという結論に至ったのです。(超話逸れますが。)

学生時代、勉強でも部活でも「結果よりプロセスが大事!」「結果が出なくても、努力したことが何より大事なんだ」って言われませんでしたか?

練習せずに試合に勝つよりも、努力して負けた方が美しくて、
授業をサボって100点満点を取るよりも、必死に勉強したのに30点しか取れない人の方が偉いなんて、おかしくないですか?

その人は、練習時間にもっと別のことを生み出すことができるかもしれない。

授業をサボった時間で、もっと世の中のためになることができるかもしれない。

それなのに、無駄に時間を費やして成果をこれっぽっちも出さなかった人間のほうが評価されることって、馬鹿げていませんか?

確かに、努力することは何においても大事だし、努力する癖が、大人になった時にためになることもたくさんあることはわかります。

だから、小学校中学校のうちはそれでいいと思うんです。

でも、人間は必ず大人になるんです。

30歳、40歳と歳を重ねても、まだ努力さえしていればいいと思っているなら、それは大人として大きく間違っていませんか?

日本の教育によって「結果より努力」であり、努力すれば、結果が出なくてもいい、逆に、努力せずに手に入れた結果なんて嬉しくない、と私たちは知らず知らずのうちに「洗脳」されているんです。

これって結構やばい国だと思うんだけど。

そしてさらにまずいことに、大人になると「努力」=「努力によって得た学歴、肩書き、社会的地位」に変換されるから、そこにはすでに努力すらも伴わなくなってきます。

この考え方が根底にあるから、肩書きさえしっかりしていれば寝ていてもいいと思っている政治家や、会社に所属していればネットサーフィンしていてもいいと思っているダメサラリーマンが少なからず存在してしまう世の中になっているのでは?

まあ、肩書きさえあるならまだいいのかもしれませんが、大人になってから私たちが努力だと感じていることって、多分ほとんどが「無駄な苦労」だと思うんです。

もう「努力だと思っていたもの」は「努力」ですらなくて、当然なんの結果にも結びつかないわけです。

私たちは一体何を目指して何を消耗しているんだろう…。

 

よく、親の遺産で悠々自適な生活、とか、不動産収入で〜、株で〜

とかいう人間を、「働きもしないで楽して生活して、社会人失格!」みたいにいう人がいますよね。

そんな妬むことしかできない無能な一般人の私たち、

彼らのようなとてつもなく運がいい人間が、私たちの一般社会に割り込んできたら、必死に分け合っている雇用は奪われ、私たちはたちまち路頭に迷ってしまうんではないでしょうか。

だって彼らは楽して稼ぐことができる人間であり、きっと社会に出てきても、楽して稼ぐために、いろいろなシステムを根本から変えていくことのできる能力と考え方を持っているはずだから。

無能な政治家や、人件費ばっかり食い荒らす頭の固い管理職のおじさん、みんなみんないらなくなっちゃいますよね?

税金さえ払っているのなら、彼らに文句を言う資格は誰にもありません。

そういう考えに至って、

「そろそろ、努力さえすれば人間として正解って考え方、やめよう」って思ったんです。

残業を努力だと、美しいと思っている皆さん、

あなたの努力(と思い込んでいるものだけど、実は単なる無駄な苦労)は、本当に会社の利益になっていますか?

周りからの評価が下がるから…、周りが残業しているから、やることもないのに周りに合わせて残業する…

その結果って、意味もなく人様のお金を食い荒らす、犯罪に近い行為ですよ。

美しい努力をしているつもりが、成果が出ないどころかマイナスになっているなんて、

そりゃあ日本が落ち目なのも頷けますよね。

もう時代は戦後じゃないんです。

なんでも豊かに揃っている21世紀なんです。

これから私たちにできることは、限りあるエネルギーや財産や自分の体や心を、いかに消費せずに生きていくことなんではないでしょうか?

それがわかった今の私でも、仕事でトラブルがあったり嫌なことがあった時には、

「私、頑張ってる。今ちゃんと仕事してる。ちゃんと社会人だわー。」

ってホッとしている自分がいて、それを友達とかに愚痴っている自分を客観視して、私もみんなと同じく苦労してるわー。
ってなんの意味もない安心感を得る癖がまだまだ抜けていないのは問題なんだけど。

でも、そんな自分の気持ち重折り合いをつけながら、私は今ある程度好きなことをして稼いでいます。

「好きなこと(=遊び?)を仕事にするなんて、楽してるみたいで罪悪感があるな。」

そう思って、現状に違和感を抱えているのに一歩踏み出せないのなら、その罪悪感にどれだけの意味があるのか考えてみてください。

好きなことをして稼ぐにはそれなりの努力と才能と運が必要です。

それは、毎日会社に行って上司や同僚の顔色を伺って、したくもない残業をするのと同じくらい大変なことです。

だから、「好きなことをして稼いでいる」全ての人が罪悪感を覚えなくなればいいと思うし、
そんなつまらない罪悪感が理由で踏み出せない人には勇気を持って一歩踏み出して「好きなことをして稼ぐ」人間になってほしいなって思います。

とりあえずやってみるか!って思った方は、以下のサービスの利用もご検討ください!

じっくりメール相談ができるので、その謎の罪悪感の払拭のお手伝いもいたします。

フリーランスライターとして活躍するためのノウハウ全部伝授します!サービス販売開始!