お寺は昔も今も私たちのそばにあるのに。私たちがお寺を拠り所にできたら、世の中は少し変わるのだろうか。越前町の善性寺さんに取材してきました。

変わってしまった私たちに歩み寄ろうとしてくれるお寺はとっても多いみたい。

すっごく独り言。
素敵なお寺に出会いました。越前町の善性寺さん。

福井の浄善寺の朝倉さんや大安禅寺の高橋さん、香川県の善照寺の三原さん、お会いしたことはないけどテクノ法要の照恩寺朝倉さん…
こういう方たちとお話ししたり、やってらっしゃる取り組みを知ると、住職さんや和尚さんってイメージと全然違うんだなあってびっくりする。

でも、今でこそお寺はお墓参りに行く場所、法要をする場所って感覚になりがちだけど、昔はもっと人々の拠り所で、生活の中に根ざしているものだったはず。
きっと私たちが勝手に離れてしまっているだけで、お寺って本当はもっと私たちの近くにあるものなんだろうなあ。

昔、あることがあってキリスト教徒になったという先生がいました。
辛いことがあった→宗教 っていうのは、無宗教の私にはその時は理解ができなかったけど、
お寺や教会が拠り所であるなら、宗教が拠り所になるのはごく自然なことなんだと思う。

「お寺のあり方一つでまちの運命が変わる」という言葉を聞いて数日。
例えば自殺が多いこの今の日本で、お寺が最後の拠り所であったなら、どうなるのだろう。

昔の人は、辛いことがあると出家したそうです。
駆け込み寺という言葉がある通り、本当に困った時にはお寺に行くという感覚があったそうです。
もし、どうしようもなくなった時、私たちに「お寺に行く」という選択肢があったなら、
もう少し世の中は違っているんじゃないかと思います。
何かから逃げたいと思った時、その逃げ場がお寺であったなら。
なんて考えています。

「お寺のあり方一つでまちの運命が変わる」
その言葉がすっごくリアルに自分の中に落ちてきたところで、仕事を始めますw
この続きは、最後の記事で。

それにしても、お寺って似たような名前で全然覚えられない…
じょうぜんじ、ぜんしょうじ、ぜんしょうじ…
お寺の名前ってどんな風に決められているんだろう。好きに名付けていいものなのかなあ。

お寺は劇場、法要は演劇-よそもの住職が救った廃寺の危機

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